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第52話 神は職能を与えていない

Author: なつめ
last update publish date: 2026-09-12 01:57:41

《記憶墓庫》の扉を再び開くまでには、五日を費やした。前のようにリュゼル自身を書庫へ立たせ、何万という石板の記憶へ直接触れさせる方法は最初から除外されている。フィオルは研究所から持ち帰った錬金器具を工房へ並べ、賢核に記憶を保存する技術と石板の構造を比較しながら、記憶魔力を一本ずつ切り分ける装置を作った。ネフィリアも深淵王家の古い封印術を調べ直し、石板と接触者の間へ狭い通路を作ることで、一度に流れ込む情報量を制限する術式を組み上げた。イセラとヴァレクは地下への出入りを交代で監視し、誰か一人の判断だけでは墓庫を開けられないようにすることまで決めたため、リュゼルは自分だけ危険物として扱われているような居心地の悪さを感じながらも、反論するだけの材料を持たなかった。

「そこまで信用ない?」

地下へ降りる前、リュゼルが半ば冗談で尋ねると、イセラは腰の湾曲刀を確かめながら顔も向けずに答えた。

「お前が一人で墓庫へ入らないという意味なら、ない」

「俺も同意だ」

ヴァレクまで続けると、ネフィリアは当然のように頷いた。

「私もよ。三人に同じことを言われてもまだ不満?」

「いや、人数が増えるほど傷つくなと思
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  • 捨てられた荷物持ちは、深淵の王女に唯一の王と呼ばれる   第52話 神は職能を与えていない

    《記憶墓庫》の扉を再び開くまでには、五日を費やした。前のようにリュゼル自身を書庫へ立たせ、何万という石板の記憶へ直接触れさせる方法は最初から除外されている。フィオルは研究所から持ち帰った錬金器具を工房へ並べ、賢核に記憶を保存する技術と石板の構造を比較しながら、記憶魔力を一本ずつ切り分ける装置を作った。ネフィリアも深淵王家の古い封印術を調べ直し、石板と接触者の間へ狭い通路を作ることで、一度に流れ込む情報量を制限する術式を組み上げた。イセラとヴァレクは地下への出入りを交代で監視し、誰か一人の判断だけでは墓庫を開けられないようにすることまで決めたため、リュゼルは自分だけ危険物として扱われているような居心地の悪さを感じながらも、反論するだけの材料を持たなかった。「そこまで信用ない?」地下へ降りる前、リュゼルが半ば冗談で尋ねると、イセラは腰の湾曲刀を確かめながら顔も向けずに答えた。「お前が一人で墓庫へ入らないという意味なら、ない」「俺も同意だ」ヴァレクまで続けると、ネフィリアは当然のように頷いた。「私もよ。三人に同じことを言われてもまだ不満?」「いや、人数が増えるほど傷つくなと思って」「僕もだから四人だよ」フィオルが楽しそうに指を四本立てたため、リュゼルはそれ以上何も言わず階段を降りた。五日前に鼻と耳から血を流し、自分の名前まで一瞬分からなくなったのだから、彼らの警戒は過剰ではない。それでも、あの一瞬に見た白い都市と古代深淵語《エルファ・サル》が頭から離れず、墓庫の中に眠る歴史を知りたいという思いも消えてはいなかった。地下最深部の黒い扉には、以前より複雑な封印が施されていた。王家の術式が扉の周囲へ幾重にも刻まれ、イセラの警報糸が目立たない高さへ張られ、中央にはフィオルが作った小さな透明結晶が固定されている。結晶の内部には細い銀線が何層にも走り、石板から流れる魔力が一定量を超えた瞬間に接続を強制的に切断する仕組みになっていた。フィオルは制御器を抱えながら何度も数値を確認し、いつもの軽い調子とは違う真剣な顔でリュゼルへ説明する。「一枚だけ。長くても五秒まで。五秒より前でも数字がおかしくなったら僕が切るし、そのあと王女が扉を閉めるよ」「五秒で何か分かるかな」「分からなくても今日は終わり」ネフィリアが先回りして言った。「まだ何も言ってない」「言う顔を

  • 捨てられた荷物持ちは、深淵の王女に唯一の王と呼ばれる   第51話 死者たちの図書館

    フェルザ王国の騎士団を追い返してから三日後、城の地下でこれまでになかった魔力反応が見つかった。最初に異変へ気づいたのはネフィリアだった。王域の外周を広げたことで、彼女は毎朝、城壁や水路、地下へ延びる基礎部分まで魔力を巡らせて状態を確認するようになっていた。その途中、食料庫のさらに下を通る古い水路付近だけ、王域の魔力が何かに遮られるように途切れたのだという。崩落や魔物の侵入なら影を通して輪郭くらいは拾えるはずなのに、そこだけは何も返してこない。無いのではなく、意図的に向こう側を隠しているような不自然さがあった。五人で地下へ降りると、昨日までただの壁だった場所に一本の黒い線が現れていた。螺旋階段の最下層、細い水路の終点に近い位置で、継ぎ目のない黒石を縦に割るように線が走っている。リュゼルが灯石を近づけると、その上下に古代文字らしき刻印が浮かび上がった。ヴァルディオスから受け取った記憶の中で見た文字に似ていたが、墓碑紋へ意識を向けても意味は入ってこない。むしろ読もうとするほど右腕の内側が鈍く疼き、皮膚の下から「近づくな」と警告されているようだった。「また死者に関係するものじゃないだろうな」リュゼルが半歩下がると、イセラが黒豹の耳を壁へ向けたまま鼻を鳴らした。「匂いは何もない。生き物も、死体も、湿気すら向こうから来てない。壁じゃなくて、完全に閉じた箱みたいだ」フィオルは興味深そうに黒石へ顔を近づけたが、今では勝手に触る前に必ず一度振り返る癖がついている。「触っていい?」「待って」ネフィリアがすぐに止めた。彼女は壁へ直接手を置かず、足元から細い影を伸ばして縦線の下へ潜らせようとする。しかし影は数センチ進んだところで見えない何かへ弾かれ、水面へ石を落としたような波紋を残して床へ戻った。自分の城の地下で、自分の王域が拒絶されたことへ、ネフィリアの表情がわずかに強張る。「王域形成で作られた壁ではないわ。おそらく、もっと古い施設が最初からここにあった。王域が周囲を修復したことで、封印されていた入口だけが表へ出たのでしょうね」「お前にも覚えがないのか」ヴァレクが尋ねると、ネフィリアは静かに首を横へ振った。「深淵王家の地下施設については、幼い頃からかなり覚えさせられたわ。避難経路、封印区画、王族しか入れない祭室まで。でも、ここは知らない。私にまで伏せられていたの

  • 捨てられた荷物持ちは、深淵の王女に唯一の王と呼ばれる   第50話 死に場所ではなく

    最初に響いたのは、ヴァレクの大剣とフェルザ王国騎士の長槍が噛み合う鋭い金属音だった。乾いた谷へ火花が散り、互いの武器へ込められた力が衝撃となって足元の砂を跳ね上げる。ヴァレクは刃を立てて真正面から受け止めず、大剣の腹を斜めに当てて槍の穂先を外側へ滑らせ、その勢いのまま柄頭を相手の胸当てへ叩き込んだ。鎧越しの鈍い音とともに若い騎士が数歩後退したが、ヴァレクは追撃しなかった。刃を返せば喉へ届く距離だったにもかかわらず踏みとどまった横顔には、敵を相手にする時とは違う苦さが滲んでいた。「アルノ」呼ばれた若い騎士の表情が揺れた。兜の下から覗く顔にはまだ若さが残り、剣を握る指にも一瞬だけ迷いが生じる。「副団長……」「もう違う」ヴァレクは短く答え、再び伸びてきた剣を鍔元で外した。相手の手首へ大剣の柄を打ちつけると、剣が砂の上へ落ちる。それでも彼は刃を身体へ入れず、武器を失ったアルノからすぐに離れた。十二人の中には彼が名前を知る顔がいくつもあるらしく、視線が一人を捉えるたび、ごく僅かに呼吸が変わっていた。元部下や同期として同じ砦を守った相手を殺せないというより、今ここにいる騎士たちもまた、王命に従って奈落まで降りてきた者なのだという事実を切り捨てられないように見えた。だが、フェルザ側は同じ遠慮を見せなかった。前衛三人が術式盾を揃え、その隙間から長槍を突き出す。後方では二人の術師が同時に詠唱を始め、赤い魔法陣から乾いた熱気が立ち上がった。団長グラーデンは中央後方から全体を見渡しながら、ヴァレクだけでなくリュゼルたち全員を敵として処理するための指示を飛ばしている。「右から来る!」イセラの声を聞くより半呼吸早く、リュゼルは騎士の肩が沈むのを見ていた。以前なら《瞬脚》で一気に死角へ回り込んでいたが、今は通常の足運びで槍の軌道から外れる。伸びてきた柄へ黒鎖短剣の背を斜めに当てて穂先を下へ逸らし、そのまま相手の懐へ踏み込んだ。喉や脇腹ではなく、鎧の厚い肩へ柄頭を叩き込み、腕が落ちたところへイセラが滑り込む。湾曲刀の平が騎士の手首を正確に打ち、握っていた武器だけを弾き飛ばした。「殺すなと言った本人が一番前にいるな」「前衛をやるなとは言ってないだろ」「自分で全部片づけるなとは言われただろ」耳の痛い返答にリュゼルが口を閉じた瞬間、谷の上から灰白色の煙が流れ込んできた。刺激臭

  • 捨てられた荷物持ちは、深淵の王女に唯一の王と呼ばれる   第49話 祖国から来た追手

    イセラが城へ戻ってきた時、最初に異変へ気づいたのはリュゼルだった。普段の彼女は足音をほとんど立てず、広間へ入ってからようやく帰還を知ることさえ珍しくない。それがその日は、外周回廊の向こうから明確な靴音が続き、結界の境界を越えた直後には黒豹の尾が大きく振れていた。呼吸もわずかに速く、額へ薄く汗が浮いている。リュゼルは長卓に広げていた保存食の一覧から顔を上げ、その様子だけで食料や魔物とは別の問題が起きたと察した。「何があった」イセラは水を求めることもなく、卓の端へ両手をついた。「人間の騎士団だ」広間の空気が変わった。フィオルが修理中だった魔力灯から顔を上げ、子どもたちも話を止める。少し離れた場所で大剣の手入れをしていたヴァレクだけは、動きを止めたまましばらく何も言わなかった。「何人」「十二。全員、正規装備。鎧だけじゃない。深層用の保存食、解毒薬、長期燃焼灯、奈落用の杭まで持ってる。迷い込んだ探索隊じゃない」リュゼルの眉が寄る。「進路は?」「こっちだ。しかも真っ直ぐ来てる」そこまで聞いて、ネフィリアが腕を組んだ。紫紺の瞳が冷える。「偶然ではないわね」イセラは頷き、腰の袋から黒い石片を一つ取り出した。地図へ書くより早いと判断したらしく、卓の横に積もっていた薄い砂へ指先で紋章を描く。三本の槍を束ね、その背後へ王冠を重ねたような図形だった。「紋章はこれ」ヴァレクの手から布が落ちた。誰もすぐには声をかけなかった。彼の暗赤色の右目は、砂に描かれた印へ釘づけになっている。「フェルザ王国」ヴァレクが低く言う。リュゼルは彼を見る。「祖国か」「ああ」短い返事だったが、声がわずかに硬かった。数日前まで、自分が死ねば十二人の部下への報いになると信じていた男が、今は城の一角で子どもの皿を取ってやり、フィオルへ荷物の持ち方を教えている。その過去が、地上から形を持って追いついてきたのだ。「俺を追ってきた」ヴァレクはそう言って大剣の柄へ手を伸ばしたが、リュゼルはすぐ首を振った。「それだけじゃない」イセラも同じ考えだったらしく、卓の砂へ指を走らせる。「奴らは分岐で迷ってない。奈落深層まで来た人間なら、普通は三回に一回は止まって方向を確認する。こいつらは地図か案内を持ってる。それも、かなり正確なものだ」「この城の場所まで?」「少なくとも、この周辺に何かある

  • 捨てられた荷物持ちは、深淵の王女に唯一の王と呼ばれる   第48話 死者の技を使わない戦い

    王域の西端を巡回していた影鳥が異常を伝えてきたのは、朝食の器を片づけ終えた直後だった。普段なら外周を一巡した影鳥は静かにネフィリアの肩へ戻るが、その日は広間へ飛び込んだ途端に輪郭を激しく震わせ、床へ落ちる直前で黒紫色の影へ崩れた。直後、城全体を下から持ち上げるような鈍い振動が走り、長卓に残っていた金属杯の水面へ細かな波紋が広がる。二度目の衝撃では壁の簡易照明まで明滅し、月角兎が驚いて食料庫の陰へ逃げ込んだ。ネフィリアはすぐに片膝をついて掌を石床へ当て、王域を通して西側の結界へ意識を伸ばした。「何かが結界へ身体をぶつけているわ。かなり大きい。それも一度や二度ではないみたい」「魔物?」リュゼルが立ち上がると、ちょうど外周確認から戻ってきたイセラが黒豹の耳を西へ向けた。結界越しでも聞こえる低い咆哮が遠くで響き、少し遅れて岩盤を重い爪が削る音が届く。彼女は目を閉じたまま数呼吸ほど振動を読み、やがて険しい表情で腰の湾曲刀へ手を置いた。「一体だ。四足でかなり重い。熊型だと思うが、普通の個体じゃない。結界の同じ場所を狙ってる」三度目の衝撃が来た。今度は王域そのものが軋む感覚までネフィリアへ届いたらしく、紫紺の瞳が鋭く細まる。結界は魔物を遠ざけるには十分な強度を持っているが、同じ一点へ大型魔物が何度も体当たりすれば、魔力の薄い箇所から亀裂が広がる可能性がある。フィオルも工具を置いて立ち上がりかけたものの、リュゼルはすぐ手で制した。「フィオルは残ってくれ。王域の魔力値を見て、西側だけ急に落ちたら影鳥を飛ばして知らせてほしい」「僕も行ったほうが役に立つかもしれないよ?」「戦うことだけが役に立つことじゃない。今は結界の状態を正確に見られる奴が残ってるほうが助かる」フィオルは少しだけ迷ったあと、自分の胸元へ手を置いて頷いた。賢核を修復してから、自分を壊してまで前へ出ようとする癖は少しずつ減っている。「分かった。壊れそうになったらすぐ呼ぶ」と答え、子どもたちのいる広間中央へ戻っていった。リュゼルは黒鎖短剣を腰へ差し、ヴァレクも壁際へ置いていた欠けた大剣を背負った。イセラは二本の湾曲刀を確認し、ネフィリアは子どもたちへ王域の中央から離れないよう言い聞かせる。四人が城門へ向かったところで、先頭を歩いていたヴァレクが足を止めた。「今日は継承した能力を使うな」ネフィリアの表

  • 捨てられた荷物持ちは、深淵の王女に唯一の王と呼ばれる   第47話 剣を教える者

    食料庫の棚を直していたリュゼルの背後で、何かが風を切った。反射的に振り返り、右手を上げる。掌へ収まったのは一本の木剣だった。城の倉庫に残っていた硬木を削ったものらしく、刃に当たる部分は丸めてあるが、重さも長さも実戦用の片手剣に近い。振り向いた先にはヴァレクが立っていた。傷が塞がってから数日が過ぎ、もう歩行に支障はない。それでも黒鉄の鎧はまだ身につけず、簡素な黒衣の腰へ自分用の木剣だけを差している。「構えろ」「何で?」「見ていられん」リュゼルは受け取った木剣と、ヴァレクの隻眼を交互に見た。「何が」「全部だ」言い切ると、ヴァレクは食料庫から出ていった。説明を続ける気はないらしい。リュゼルは半ば呆れながら、作りかけの棚へ視線を戻した。フィオルが新しく作った冷却器のおかげで保存できる食料が増えたため、昨夜から棚を一段増やしている。最後の金具を打てば完成するところだった。「これ終わってからじゃ駄目か」廊下へ声を投げると、少し離れたところからヴァレクの返事が飛んだ。「午後でも棚は逃げん」「俺も逃げないぞ」「お前は死ぬ可能性がある」棚と剣の話が、いつの間にか生死の話になっている。リュゼルは小さく息を吐き、木槌を工具箱へ戻した。こうなったヴァレクが引かないことは、この数日で分かっている。中庭へ出ると、すでに見物人が増え始めていた。シュカたちは朝食の後片づけを途中で切り上げて城壁際へ集まり、フィオルは片手に分解途中の魔力灯を持ったままついてきている。外周の見回りから戻ったばかりらしいイセラも、黒豹の耳についた細かな砂を払いながら壁際へ寄った。最後にネフィリアまで現れ、黒紫色の長衣の腕を組んで中庭を見下ろしている。「全員来る必要ある?」リュゼルが尋ねると、シュカが即答した。「何するのか気になる」「僕も」フィオルは楽しそうに木剣を見る。イセラは短く言った。「見ておく価値はありそうだ」ネフィリアだけは何も言わなかったが、その口元がわずかに緩んでいる。「絶対楽しんでるだろ」「あなたが何度地面へ転がるか興味があるだけよ」「十分楽しんでるじゃないか」そんな会話のあいだにも、ヴァレクは中庭中央の小石を足で除け、足場を確認していた。そこだけ切り取れば、騎士団の訓練場と変わらない厳格さだった。「来い」呼ばれ、リュゼルは中央へ歩く。木剣を片手

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